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サイトの説明

当サイトは、お遍路について、四国八十八ヵ所を中心に各札所の情報と全国の巡礼、それに伴う事前の準備や注意について作成しました。

お遍路という言葉で一番最初に思い浮かべたのは、自分の日本映画ベスト3に入る「砂の器」の激しい海をバックに親子で歩くシーン。
ハンセン病に対する偏見や差別の問題提起にもなった、自分が20歳の時に見た作品。

昔のお遍路・四国八十八ヵ所は、病苦や貧困など、さまざまな理由で居住地から追われた人々が、四国の地で遍路として終わりのない過酷な旅を続け、その地に骨を埋めた。杖の入手も単に歩きを助ける為だけでなく、途中で行き倒れになった時の墓標の代わりにもなるような、厳しいお遍路。

時代が変わって、現代においては、僧侶の修行としてや、従来の信仰に基づくものや、現世・来世利益を期待する巡礼者も引き続き大勢いるが、バブル崩壊後は信仰的な発心よりも、いわゆる自分探し、癒しとしての巡礼者が増えたといわれている。一時期減ったといわれるすべての札所を徒歩で巡礼する歩き遍路も同じころから増えだしたといわれている。

菅笠・白衣・輪袈裟という標準スタイルから、そうでない格好でテントを担いだ人や、バックパッカー的な感覚やトレッキングを楽しむ感覚で遍路をする者も増えたといわれていが、一人ひとりの心の中は千差万別、その人なりの巡礼の仕方があっていいと思う。

今から約20年前、初めていった海外旅行がオーストラリアのゴールドコーストで遊んでのタスマニア島(友人在住)。
その時、一番思ったことが、お金もさることながら30代の一番仕事の忙しい時に、時間が取れるという事が本当に恵まれていると感じた。

四国八十八ヵ所も、必要なものは、体力・時間・費用の3点に恵まれなければ行くことは出来ない。
徳島県の1番札所霊山寺から香川県の88番札所大窪寺まで全行程は約1,400kmに及び、歩き遍路の場合、最低でも40〜50日はかかり、車でも10日はかかる行程。

特に歩きは、普段の生活の事を考えると、現実は思っているよりも遙かに厳しい。 途中で脱落する人も多く、出来れば無理をしないで最後まで行く方法を、自分なりに考えて、工夫して欲しいと思います。

小学生の頃の記憶で地図を見ていてオーストラリアは、自分の田舎の四国に図形が似ていると思い、大きくなって大本教の「日本は世界の縮図」という話を読んだ時、おもしろいと思った。

菩提の道場・伊予国(愛媛)

 

涅槃の道場・讃岐国(香川)

 
           
   
   

修行の道場・土佐国(高知)

 

発心の道場・阿波国(徳島)

 

四国八十八ヵ所のいわれは様々な伝説があり、弘仁6年(815)、弘法大師(774年〜835年)が42歳の時に修行の場でもあった四国に仏道修行として、また人々の厄難を取り除く場所として四国霊場八十八ヵ所を創設したのがはじまり。
衛門三郎が自己の非を悟って四国の霊地をめぐったのが遍路のはじまり。
大師の入定後、高弟真済がその遺跡を遍歴したのがはじまり。
平安末期や鎌倉時代には真言宗の僧や行者が大師ゆかりの地で修行しはじめたのがはじまり等、様々。

ただ、八十八ヵ所の霊場が固定し、一般庶民も参加するようになったのは室町末期から江戸初期の世の中が落ち着いてきた頃だと思われます。
真念(しんねん)と高野山の僧侶、寂本(じゃくほん)は三つの書物を残しました。
弘法大師の修行や四国霊場の縁起や道程などを載せた「四国遍路道指南(しこくへんろみちしるべ)」「四国遍礼霊場記(しこくへんろれいじょうき)」「四国遍礼功徳記(しこくへんろ功徳記)」です。
また、真念は、多くの人が迷う分かれ道に、数多くの道標を立て、路傍の小さな石柱は、長い間お遍路さんを無言で導き助けてきました。

当初「一番札所」は弘法大師の生誕した、真言宗の最初の根本道場である「善通寺」でしたが、関西や近畿より淡路島から鳴門に渡るルートが増えたため、現在の「霊山寺」から始まるように落ち着いたといわれてます。

また、八十八と言う数字は人間の持つ煩悩の数で、満願成就すると全ての煩悩が断滅して成仏できると言う説
男四十二、女三十三、子供十三の各厄年を合わせた数の厄年を合計した数と言う説。
命の糧「米」の字を分解したとするもの字に通じるから五穀豊穣を祈る数であると言う説。
曼荼羅の八葉蓮台の一葉一葉に十一面の方向(十一面観音様のお顔が全方向を向いているように)があるとした説。
八は末広がりで、無限大で宇宙を表すところからきているとする説などさまざまですが、どの説にも納得させられる所があり、おもしろい物だと思います。